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育成初ノーヒットノーラン! お化けフォーク千賀滉大の高校時代は?

令和元年。

日本球界にまた新たな歴史が刻まれました。

ソフトバンクの千賀滉大選手がノーヒットノーランを達成!

日本中が千賀滉大選手のピッチングに目を奪われました。

そんな千賀滉大選手が実は甲子園も未経験、ただの育成選手だったことをご存知でしょうか?

今回はそんな無名の高校時代の千賀滉大選手を調査しました!

千賀滉大選手の高校時代のプロフィール

都道府県:愛知
高校:蒲郡
学年:2011年卒
ポジション:投手
投打:右/左
身長・体重:183cm・76kg

 

千賀滉大選手の高校入学当時は?

千賀滉大選手はプロ入団後10キロ以上もスピードアップし、大変身を遂げましたが、そのルーツは愛知県立蒲郡(がまごおり)高校時代にあると思います。

中学時代には、投手を志しましたが成長痛の影響でプレーがほとんど出来ませんでした。しかしその影響もあり、中学の3年間を経て身長は大きく伸び、中学入学時に150センチ前半だった身長は、高校入学時には176センチにまでのびました。

そして高校入学後、成長痛も収まり再び投球練習を始めます。

千賀滉大選手高校時代の成長は?

「当時の監督が見ていて、何を評価してくれたかはわからないですけど『じゃあ投手始めてみろ』と言われたんです」

最速120キロ・体重60キロ弱。これが千賀投手のスタートライン。

だからこそ彼は課題を克服するための努力を絶やさなかった。

「とにかく身体は太くしなければならないと思いましたね。

高校の時から体が変わらないとパフォーマンスも変わらないと思っていましたから。量は具体的には覚えていないのですが、とにかく食べました」

そんな千賀が食べることと同じくらい取り組んでいたのが走ること。

長距離、中間走、ポール間ダッシュを来る日も来る日も繰り返した。約1年半後、サイズは183センチ76キロへ。

球速も約20キロ速くなり、最速144キロを計測するまでとなった。

最後の夏は3回戦で岡崎商に敗れたが、高い将来性を評価され福岡ソフトバンクホークスに育成4位で指名された。

かくして千賀 滉大、第1の「大変身」は夢のプロ入りをもたらした。

 

千賀滉大選手は高校時代は肉体改造をに重点を置いてトレーニングを重ねたようですね。

地味ですが、日々の反復練習をひたすら続けたことが現在の千賀滉大選手のフィジカルやメンタルの強みになったのでしょう。

千賀滉大選手を発掘するまで

しかし、
高校時代の成績は決して良いとは言えません。

ではどうやって原石だった千賀滉大選手を見つけたのでしょうか?

千賀滉大選手を見つけたのは、名古屋市内にある名もなきスポーツ用品店の店長です。

「スカウトは誰しも、独自のネットワークを担当地域に張りめぐらせているものです。アマチュア選手の情報通として、信頼を置かれていたこの人物が、当時ソフトバンクのスカウト部長だった小川一夫氏(現二軍監督)に話を持ちかけた。この人から『肘の使い方が柔らかい』という評価を聞き、『他に競合がいないから』という理由で育成の4位での指名となった。

千賀は他球団のスカウトもまったくノーマークだったんですよ。蒲郡高校3年のときも県予選の3回戦で負けていますし、ドラフトのガイドブックを見ても出ていないほど、まったくの無名選手でした。プロ2年目のキャンプで一軍に呼ばれたときも、チームスタッフにさえ『誰? チガ?』と言われていました」(ソフトバンク担当記者)

千賀滉大選手の高校時代のピッチング動画

 

無名の育成選手だった千賀は、いまや日本一と言われるMAX161kmのストレートをいかにして身につけたのか。高校時代の恩師・金子博志氏が言う。

「千賀は関節が非常に柔らかいんです。『猿腕』といって、手のひらを上に向けた状態で両手を前に伸ばしても、手からひじまでぴったりつく。もともと柔らかかったんですが、他の選手より柔軟に時間をかけていました。スピードの秘密は、柔軟な関節が生み出す驚異的な『しなり』です」

 

これからの成長も大いに期待できますね!